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将棋で負けること

更新日:2024年10月1日

将棋は負けると悔しい。


運要素がない完全情報ゲーム。チームメイトもいない。自分の実力が全部盤上に現れて勝敗が決まる、シンプルで残酷な盤上遊戯だ。



高校生の時、将棋部に所属していた。女子の将棋人口は男子に比べとても少ない。だから初心者からはじめても、毎日まじめに練習すればそれなりの結果がでるのが嬉しかった。先輩女性部員たちは全国大会常連なので、私もそこに混ざりたかったが、どうもそうはいかない。私より部室にきていない同級生の女の子(フッ素というあだ名、元バレー部の長身でかっこよい人)のほうが強いのである。なんで?! 彼女をよく観察してみると、終盤で絶対に諦めないのだ。勝ちたいという気持ちが私の何倍もあって、その執念が勝利をつれてくるのである。


どうすれば、その気持ちを手に入れることができるのだろう。当時の私は将棋という競技より、将棋部にいるおもしろい人たちとの交流を求めて部室に通っていた。誰かに負けても「まあ、ゆるくやってるんで」といつも自分の弱さから逃げていたのである。それに気づいた3年生最後の大会前、本気で将棋と向き合ってみた。



「よろしくお願いします」と頭を下げる。持ち時間はそれぞれ15分、それを使い切ると1手30秒で指す。相手はあの、フッ素。今日も目元が涼しげだ。指すたびに手のひらで対局時計のボタンを押す。序盤は駒組み。”囲い”と呼ばれる守備陣系をつくっていく。長期戦になりそうなので、穴熊というガチガチの囲いを選択する。王将が駒たちに囲まれてあったかそう。じりじりと攻防が続き、桂馬がぴょんぴょん跳ねて、フッ素の飛車が私の陣地に成り込んで龍になる。終盤が近づいてくる。気づけば穴熊の囲い上部に穴があいて攻めこまれそうだ。いい手はない? 羽生マジックとはいかなくても、この状況をよくする最善はなに? 考えろ、考えろ、考えろ。秒読みの時計がピーピー鳴っても考えろ。最初ゆっくり押していた対局時計もバンバン強い力で叩いてしまう。この時間すら惜しい。1秒でも目の前の将棋を考えたい。あっ、詰みそうな形になってきた。たぶんあと少しで勝てる。自陣はどう? お互いにボロボロで形勢判断がわからない。時間がない。でも勝ちたい。こういう時って第一感を信じればいいの? えっ、これ?! これがいいって今私は考えてるの? この光ってみえる駒?! でも自信がない。自信がないけど指すしかない。結局最後まで信じられるのは、自分ってことなのーーー?!!



「負けました」

そうつぶやいたとき、声が震えた。

真正面から自分の弱さを受け止めたとき、こんなにもつらいんだ。対戦相手が憎いんじゃない。準備ができていなかった私に対して悔しいんだ。あと少しで勝てそうだったのに、それを叶えられなかった自分に滅茶苦茶ムカつく。あーーー、なにこの悔しさ。ゲームでこの感情が湧きおこるのか。だからフッ素は負けないよう最後に粘るんだな。自分はもっとやれるって信じてるから、あの終盤が指せるんだ。私ももっと将棋の勉強しなくちゃいけないな……。



 

 

この気持ちを、応援していた棋士が負けるたび、私は思い出す。

私の何千何万倍も将棋に命をかけた方々だから、もっとはらわたが煮えくり返ってると思う。猛烈に自分に対して悔しがっているはずだ。勝ちたいと思う気持ちが強いほど、将棋も強くなるので、そのぶんだけ悔しがっているはずだ。


先日の日記に書いた、王座戦第三局、永瀬九段が負けた。ギリギリのところで攻めに踏み込んで勝ちがみえていたのに、藤井聡太王座の9六香の毒饅頭を食べて負けた。解説の棋士たちも絶句する最終盤。藤井さんも勝ちたかったのだ。だからあの手が指せた。


「ゼロから頑張りたいと思います」とコメントする永瀬さんの言葉の重み……あれだけ積み上げて、ゼロから……そのゼロってあの漆黒の時代を指すんですか……? ……つらい。藤井聡太さんがはじめて王座戦を防衛するという記録的な日なのに、ライブ中継はお通夜のような雰囲気になっていた。


永瀬さん、とにかくお疲れ様でした。

負けの話を書いたけど、将棋は勝つととんでもなく嬉しいんですよ。その輝きをまた掴んでほしい。







 

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