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上野に行ってきた。

普段札幌に住んでいるが、突発的に関東方面へ行きたくなったのだ。夫は一時期千葉に住んでおり、DIC川村記念美術館いいな〜と25年以上気になっていたらしい。閉館のニュースが出た今、それは行かねばならぬ。小4の息子は美術にあまり興味がないので、私と上野の国立科学博物館のヤバさを体験しよう! となった。朝5時に起きて新千歳に向かい、成田空港で夫と別れる。京成スカイライナーはとても快適。日暮里駅で初めて山手線に乗る息子に、人が多い時はリュックを前にするのだと教え、都会の洗礼を受けてもらう。これが日常だった東京時代が私にもあったのだなと、懐かしくなる。到着した上野はすごい人で「わははは」と笑ってしまった。レストランの順番待ちの紙を入手し、人が少ない方向に動いていったら、地球館2階の小惑星イトカワの微粒子が電子顕微鏡でみられる所に流れ着いた。人がいないので雑に鑑賞してしまったが、あれはかの有名な小惑星探査機「はやぶさ」が持ち帰ったあの「イトカワ」の「実物」なのである。やべー。やべーもんがしれっとあるよ、この博物館はよう!

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「ボタンをいっぱい押したい!」と主張する息子を、地球館地下3階のシンクロトロン実験コーナーに案内。コイルで球を加速させまくっていた。イトカワ観察より楽しそうでなにより。博物館最下層だけあって人が少なく、のんびりできました。


帰り際、みんな大好き「フーコーの振り子」をながめつつ「これは札幌の青少年科学館のほうが立派だね」と息子がマウントをとっていたの、おもしろかった。(下の写真は上野精養軒がやっているレストラン・ムーセイオンのかはくパフェ。異様にオペレーションが早くてビビります)

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夜、DIC川村記念美術館に行っていた夫と友人Aさんと合流。あんみつのみはし上野本店でおぞうにと杏みつまめを食べる。


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Aさんはテナーサックス吹きの循環器内科医。初めて会ったとき、親知らず抜きたてのマスク姿で現れ、焼き鳥屋でひたすら黒霧島だけをニコニコ飲んでいたのを思い出す。私が東京に住んでいた頃は意味なく3人でスカイツリーに登ったり、ベネズエラ音楽のライブでマラカスの素晴らしさに目覚めたり、秋田料理屋のホヤの刺身に悶絶した。あれから10年以上の歳月が流れて、それぞれ家族が増えても、喋ればあの頃に戻れるのである。夫とAさん2人でインド旅行計画が持ち上がったらしい。それはいい! ぜひ行こう! と背中を押す。Aさんはアクシデントがあっても「そういうもんだよね〜」と受け流してくれそうだから、旅の相手に向いてるねと帰り道に話す。


おぞうにはとても上品なお出汁とふわふわ卵とザ・関東な焼き餅が素晴らしく、これから雑煮を食べるたび思い出しそうな一品だった。


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その日は早めに寝て、翌朝6時に起床。寝ている家族をホテルに残し、ひとり上野公園を散歩する。台東区立下町風俗資料館の前に看板があるのでよくみると、江戸時代にここに3つの橋(三橋)がかかっていたらしい。みはしはそこから店名をもらっているのだなあと、答え合わせをした気分。出土した当時の底板の一部もあったのだが、ガラスがくもりまくっていて全然見えなかった。


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西郷隆盛像がある方へ向かう。





私がはじめて上野公園に行ったのは、2008年、大阪で大学生をやっていた時だった。講師の先生から「後藤は東京へ行った方がいいよ」と何度か言われ「へー、そんなにいうなら空気だけでも体感しとくか」と素直にひとり電車に飛び乗ったのである。


「どこ行くか迷ったら上野や」という先輩の教え通りに、国立西洋美術館のコンクリートに浮かぶ美しい木目を堪能し、東京国立博物館・常設での螺鈿コーナーの素晴らしさに目を奪われる。途方もない時間が蓄積された品ばかりが延々と続く。


谷口吉生設計の法隆寺宝物館で暗い展示室にボゥッと照らされた仏像をみたあと、ホールに戻ると眩しすぎる光に圧倒される。キラキラの水面が極楽浄土のように私に跳ね返ってくる。


ぼあーーー

この文化の塊はなんなんだ。これが首都ってことなのか。各地の素晴らしいものが、選定され、大量に集められている。転がる石が全部宝石の河原みたいだ。銀河鉄道の夜かよ! 完全にキャパオーバーでフラフラする。大阪、堂島のジュンク堂書店に初めて行った時、そのデカさとベンチに座って本が読める豊かさに「都会ってすげえ」と驚いたが、それ以上に、上野は私をぶん殴ってきた。これが東京.......! その高揚を大阪に帰って、文章にした。



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わたしのたからもの


「さがしものはなんですかー、みつけにくいものですかー、かばんのなかもつくえのなかもさがしたけれどみつからないのにー」

私はよく、ものをなくす。それも頻繁に。
先日も映画のチケットを購入したその5分後にはもう、手元になかった。レシートをみせてなんとか入場することはできたのだけど、もぎりのお姉さんの「このひと本当にチケット買っているの?」という疑わしい目つきは、映画の内容よりもしっかり脳裏に焼き付いている。

なんで、すぐものをなくしてしまうのだろう。高校の受験票に、アルバイトの面接用に撮った証明写真。神隠しのようにするりと手元から消え去ってしまう。ただ注意不足なだけなのだろうか。絶えず井上陽水の「夢の中へ」がエンドリピートの状態だ。本当にもう、すべてを忘れて踊ってしまいたくなるくらい。

ある日、私は上野公園へ行った。
朝降っていた雨が上がり青い空が所々にみえはじめた頃で、地面の水たまりの水が水蒸気にかわって上にのぼっていくのをなんとなく感じるような、そんな空気。吐く息もいつもより白くて遠くから歩いてくる外国人の家族がなんだかドラマチックにうつっている。ぼやーっと不忍池、そして西郷隆盛像の前を通過しかけて、ふと横をみると、今まで木や池しかみえない公園だったのに突然大きな街がみえた。

東京のなかなのに、遠くから客観的にこの都市を見下ろしているような、そんな感覚をうける場所。地理的に小高くなっているところなので、眼下にたくさん流れていく車、人、電車、そびえたつビル群が広がるのは当たり前なのだが、上野公園は都市開発という意味での時間が止まっているため、余計そうみえるのかなと考える。

考えながら視線を手前に戻すと、寄りかかっていた手すりに「写るんです」がポツンと置いてあった。誰かが忘れていったのだろう、まだ数枚フィルムが残っている。よくものをなくす私の前に、だれかの忘れ物があるのはなんだか不思議だな、そしてこのカメラの持ち主はこのあといつもの私のように困ったりしているのだろうと想像した瞬間、今目の前にひろがる空気をこのカメラで切り取りたいと思った。

小さなファインダー越しの東京の街はなんだかエノキみたいで、ぎゅっとした密度で白くてしゅるっとしていて、上にのびている。東京がエノキなら大阪はブナシメジかななんて考えながら、カチリとシャッターを切る。

そっと、写るんですをもとあった手すりに置き、その場を立ち去る。
立ち去りながら、このカメラの持ち主はこの写真をみることがあるのだろうか、もしあるのならどんな反応をするのだろうかと思いをめぐらせる。なぜだかとってもドキドキする。そして「夢の中へ」を口ずさむ。

私がなくしていったものたちは今どうしているのだろう。ゴミとして捨てられた? それとも誰かのものになっているのだろうか? もし、私ではない誰かとそれが関わりをもつことで何かが起こるのなら、ものをなくすのも悪いことではないなと思った。



これを電通クリエーティブ塾関西の1次審査に提出した。作文テーマである「わたしのたからもの」から発想せず、ひたすら上野公園で見た景色のことを書いた。キラキラ感があればなんとかなるじゃろと、すごいスピードで仕上げたのを覚えている。2次試験、3次試験も通過してなんとか塾生になれた。3ヶ月にわたり広告の講義と課題をやるインターン。しかし結果はボロボロで、塾長から唯一褒められたのがこの作文だった。ピタゴラスイッチの佐藤雅彦にあこがれて電通の門をたたいたものの、おもしろいものを作るのがこれほど難しいとは! 水虫薬のCMをウクレレで歌ったり、短歌作ったり色々やったが、表層で変わったことをやっても作品の芯が退屈なのである。自分つまんねーーと激しく思った。


サントリーGREENDA・KA・RAのCMでおなじみの赤松隆一郎さんから、絵コンテの絵いいよね〜と爽やかに言われたのを、私は今でも覚えている(絵はいいのか......)


でも、あの上野の気持ちは確かに伝わった。それはとても嬉しかった。




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あれから16年たった2024年、久々に西郷隆盛像の前にやってきた。当時あった聚楽が入った建物が壊され新しくなったので、あの景色はもうみえない。


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でも、横からなら当時の雰囲気がわかる。

そうそう、この交差点、ヨドバシカメラにアメ横、鉄道、そしてみっちりとしたビルのレイヤーですよ。


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当時なかったでっかいツリーも増えている。


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これからどんどん、東京の街は様子を変えていくんだろう。風景を見て懐かしく思うことも、なくなってしまうかもしれない。でも私の頭の中にあるあの景色と感動はずっと同じで、作文を読めば何度だって蘇る。


東京に来れてよかった。



【おまけ】

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不忍池のふぐ共養碑の横には

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スッポン感謝の塔がある(ふぐに対してグラフィカルなスッポン表現!)

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上野公園そばの街路樹に落花生の殻が捨ててあり、異国情緒を感じた。観光客か、アジア系のバーの人がこうしたのだろうか。私も田舎出身だから、花や野菜クズをそのへんの土に返したくなるのわかる! と思ってしまった。

 
  • 2024年10月1日

将棋は負けると悔しい。


運要素がない完全情報ゲーム。チームメイトもいない。自分の実力が全部盤上に現れて勝敗が決まる、シンプルで残酷な盤上遊戯だ。



高校生の時、将棋部に所属していた。女子の将棋人口は男子に比べとても少ない。だから初心者からはじめても、毎日まじめに練習すればそれなりの結果がでるのが嬉しかった。先輩女性部員たちは全国大会常連なので、私もそこに混ざりたかったが、どうもそうはいかない。私より部室にきていない同級生の女の子(フッ素というあだ名、元バレー部の長身でかっこよい人)のほうが強いのである。なんで?! 彼女をよく観察してみると、終盤で絶対に諦めないのだ。勝ちたいという気持ちが私の何倍もあって、その執念が勝利をつれてくるのである。


どうすれば、その気持ちを手に入れることができるのだろう。当時の私は将棋という競技より、将棋部にいるおもしろい人たちとの交流を求めて部室に通っていた。誰かに負けても「まあ、ゆるくやってるんで」といつも自分の弱さから逃げていたのである。それに気づいた3年生最後の大会前、本気で将棋と向き合ってみた。



「よろしくお願いします」と頭を下げる。持ち時間はそれぞれ15分、それを使い切ると1手30秒で指す。相手はあの、フッ素。今日も目元が涼しげだ。指すたびに手のひらで対局時計のボタンを押す。序盤は駒組み。”囲い”と呼ばれる守備陣系をつくっていく。長期戦になりそうなので、穴熊というガチガチの囲いを選択する。王将が駒たちに囲まれてあったかそう。じりじりと攻防が続き、桂馬がぴょんぴょん跳ねて、フッ素の飛車が私の陣地に成り込んで龍になる。終盤が近づいてくる。気づけば穴熊の囲い上部に穴があいて攻めこまれそうだ。いい手はない? 羽生マジックとはいかなくても、この状況をよくする最善はなに? 考えろ、考えろ、考えろ。秒読みの時計がピーピー鳴っても考えろ。最初ゆっくり押していた対局時計もバンバン強い力で叩いてしまう。この時間すら惜しい。1秒でも目の前の将棋を考えたい。あっ、詰みそうな形になってきた。たぶんあと少しで勝てる。自陣はどう? お互いにボロボロで形勢判断がわからない。時間がない。でも勝ちたい。こういう時って第一感を信じればいいの? えっ、これ?! これがいいって今私は考えてるの? この光ってみえる駒?! でも自信がない。自信がないけど指すしかない。結局最後まで信じられるのは、自分ってことなのーーー?!!



「負けました」

そうつぶやいたとき、声が震えた。

真正面から自分の弱さを受け止めたとき、こんなにもつらいんだ。対戦相手が憎いんじゃない。準備ができていなかった私に対して悔しいんだ。あと少しで勝てそうだったのに、それを叶えられなかった自分に滅茶苦茶ムカつく。あーーー、なにこの悔しさ。ゲームでこの感情が湧きおこるのか。だからフッ素は負けないよう最後に粘るんだな。自分はもっとやれるって信じてるから、あの終盤が指せるんだ。私ももっと将棋の勉強しなくちゃいけないな……。




 

この気持ちを、応援していた棋士が負けるたび、私は思い出す。

私の何千何万倍も将棋に命をかけた方々だから、もっとはらわたが煮えくり返ってると思う。猛烈に自分に対して悔しがっているはずだ。勝ちたいと思う気持ちが強いほど、将棋も強くなるので、そのぶんだけ悔しがっているはずだ。


先日の日記に書いた、王座戦第三局、永瀬九段が負けた。ギリギリのところで攻めに踏み込んで勝ちがみえていたのに、藤井聡太王座の9六香の毒饅頭を食べて負けた。解説の棋士たちも絶句する最終盤。藤井さんも勝ちたかったのだ。だからあの手が指せた。


「ゼロから頑張りたいと思います」とコメントする永瀬さんの言葉の重み……あれだけ積み上げて、ゼロから……そのゼロってあの漆黒の時代を指すんですか……? ……つらい。藤井聡太さんがはじめて王座戦を防衛するという記録的な日なのに、ライブ中継はお通夜のような雰囲気になっていた。


永瀬さん、とにかくお疲れ様でした。

負けの話を書いたけど、将棋は勝つととんでもなく嬉しいんですよ。その輝きをまた掴んでほしい。


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  • 2024年9月28日

今日は過去日記を


【2018/11/17】

子供の頃、お歳暮かなにかで生きたホタテガイをもらった。貝殻がパクパク動く彼らをみて、かわいいと思った私は、ひとつだけボウルに残して飼うことを許してもらった。貝の育て方なんて知らなかったから、水に塩をたくさん溶かしてエアーを入れた。案の定、ボウルの中でホタテはどんどん弱り、すぐ腐った。


テレビでは貝とは思えぬスピードで泳いでいたのに、私が飼おうなんて言ったがために食べることすらできなかったホタテ。


ホタテの墓をつくり、私は手を合わせた。


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